日本の若者に伝えたい、アメリカで経験したコロナの怖さ

日本の若者に伝えたい、アメリカで経験したコロナの怖さ

最近、インスタをめっきり開かなくなりました。

コロナ対策で家にこもっている私は、旅行やショッピングモールに行っているストーリーを見ると凹むからです。

おなじように緊急一時帰国中の友だちは口を揃えて「日本人、危機感なさすぎ」と言っています。インスタやFacebookで、みずから外出自粛の呼びかけをする投稿をする人もいました。

同年代の若者どうしなのに、いた国でこれほど行動に差が出るなんて。

ということは、私がアメリカで経験したことを知ったら、他の人も外出自粛しようって思うかも。

そんな思いから、この記事を書くことにしました。

また、あくまで個人の経験談ですが、アメリカでどのようなコロナ対応をしていたかも、知っていただければと思っています。巷には、外国の対策について誇張されていることもあるからです。

緊急帰国前にアメリカで経験した怖さ。

おでかけ大好きな私を、それでも家にいようと思わせたこの経験を共有したいと思います。

注意
この記事の内容は、あくまで私個人の経験談です。大学生という身分柄、情報源は大学生や大学自体に偏りがちなことをご承知ください。
また、アメリカの中だけでも、州ごと、大学ごとにいろいろな対応をとっています。あくまで一例としてお読みください。

アメリカで経験したコロナとは

前の記事にも挙げたように、私は一週間前にアメリカの留学先から帰国しました。コロナの拡大が懸念されるため、学生は家に帰るようにと言われたからです。

そんな帰国に至るまでの出来事を、時系列で紹介します。

1月末から2月の中旬「対岸の火事」

大学の対応

これ以降、状況が好転するまで、大学関連の用事での中国への渡航(学会発表、留学など)は許可しないと発表される。

「コロナの典型的な症状を示した生徒がいたから、テストを受けました」
↓↓↓数日後
「結果は陰性でした、よかった」
といったメールを数回受け取る。

とはいえ、大学のある州では感染者なしと強調していたり、当時流行していたインフルエンザや風邪に注意するようにと言ったりと、コロナに関しては対岸の火事感が否めませんでした。

生徒の反応

中国に関係している人たち(中国系アメリカ人、中国からの留学生など)を中心に、コロナの話が出始める。友達が武漢にいるんだ、と心配そうに話す人を見ました。

また、大学内で、
「武漢出身の子が、この寮にいるらしい。近づかないでおこう」
といった噂話や、
「中国人学生は避けなさい、ってママに言われた」
という話を聞くようになる。

そういった対応を受けて、中国人留学生のひとりが、
「コロナは中国のせいじゃない、中国も苦しんでいるんだ」
とインスタに投稿していたのが印象的でした。

とはいえ、コロナもインフルエンザみたいなもんでしょというように、まだまだ楽観的に捉えていたように思います。

2月下旬から3月第1週「高まる緊張感」

大学の対応

大学関連の用事(学会発表、留学など)で、コロナ被害が深刻な国(中国、韓国、イタリア、日本など)に渡航することが禁止される。この禁止は、後にすべての外国に対象が拡大されました。

また、コロナ被害が深刻な国から大学に戻る前に、家で14日間待機することが義務付けられる。

3月に入り、大学がある州で初めて感染者が出るものの、大学がある場所とは遠いから危険は少ないと強調していました。

生徒の反応

他の国では、どうやら大変なことになっているらしい、と気付き始める。

「この夏休み、日本に帰るの?」
「家族は日本にいるんだよね、大丈夫?」
と友達から聞かれるようになる。

東アジアの留学生たちと、夏休み帰国するべきか、アメリカに残るならどうするか、といった情報交換を活発にするように。私もなんとなく、アメリカでのインターンシップなどを調べ始めました。

州内で感染者が出たあとは、緊張感が高まるのを感じました。

3月11日「突然の知らせ:オンライン授業への移行」

大学の対応

突然、大学からメールを受け取り、
・春休み明けの4月から、学期が終わる5月まで、授業がすべてオンラインになる
・寮にいる生徒は、二週間後にある春休みに家に帰るように
(家に帰れない事情があれば、それ以降の寮の滞在も考慮する)
と言われる。

春休み開始まで二週間あるタイミングでの発表だから、寮やアパートからの引っ越し準備時間が十分にある、焦らないでとも言っていました。

なお、春休みまでの二週間は通常通り、対面の授業が行われる予定でした。

生徒の反応

とにかく急なことだったから、半パニック状態に。

・オンライン授業、時差がある生徒はどうなるのか
(広いアメリカでは、国内でも時差があるんです)
・いっそ実家に帰るより、大学に残ったほうが安全ではないか
・セメスター分すべて払った寮費は返金されるのか

など、大学のSNSグループで、その日のうちに数十件のスレッドが立っていました。

当時、日本はアメリカより危険とみなされていたため、私は春休み以降も寮に残る権利がありました。そのため、帰国するべきか、とどまるべきか、とても悩みました。

アメリカの方が安全なら、寮に残ろうか。

でも、いつ悪化して帰国できなくなるかわからない。

悩んだ結果、春休み前日の飛行機を予約しました。そして、帰国までの二週間、一緒にご飯行こうとか、写真撮ろうなどと友だちと約束しました。

3月13日「早く帰れ」

大学の対応

お昼過ぎ、急にメールを受け取りました。

・今日13日をもって、春休みまでの二週間すべての授業を中止する
・生徒はなるべく早く、帰宅しなさい

授業がないから、その時間を使って早く準備して家に帰るように、と言われました。

生徒の反応

パニック、本当にパニックでした。

いつもは生徒でいっぱいの図書館はからっぽ、生徒でにぎわう食堂も重い雰囲気に。

近くの店では、荷造り用のダンボールが売り切れに。あたりを見回すと、帰る算段をつけるために、家族と電話する生徒だらけ。私は時差の関係で、家族に電話してもつながらず、辛かったです。

電話がつながったあとも、どうすればよいかさっぱりわからず、先のことが決められません。私は帰国する前に、アメリカでやらなければならないことが二つあり、それらがいつ終わるか検討がつかなかったのです。

そのいち、荷造り。

私は学校の寮に住んでおり、帰る前に寮を完全に明け渡す必要がありました。
持ち物をすべて引き払わなければなりません。

そのうえ、飛行機で帰る私は、家族が車で迎えにこられる人たちと違い、たくさんの荷物を持ち帰ることができません。一定期間、有料で荷物を保管してくれるストレージサービスを探す必要がありました。

そのに、家探し。

実は、この発表の数日前に、来年2年生になったときの寮の抽選がありました。私の大学では、ランダムにタイムスロットが割り当てられ、その時間に残っている寮のなかから希望する部屋を選ぶシステムです。私は運悪く、遅い時間のタイムスロットになってしまいました。

割り当て時間に残っていた寮を見ましたが、古い寮や2人、3人部屋のみ。1年生でいちばん古い寮の3人部屋になり、来年こそはと良い住まいを渇望していた私は大ガッカリ。

そのため、急遽2年生は寮ではなく、自分で探してアパートに住もうと決めたのです。

だから、帰国前に次の年のアパートをみつけなければ、この夏アメリカに戻ったときに、ホームレスになってしまう!

アパートをみつけるまでの話はまた別記事にしますが、異国で慣れない言葉でアパートを見つけて契約するなんて、どれくらいの期間かかるかさっぱりわかりません。

さんざん迷った結果、当初の二週間後から、6日後の飛行機に変更しました。
日本で航空券をとったためアメリカから電話での予約変更ができず、両親に電話してもらいましたが、混んでいて1時間待ったそうです。

また、日米間の飛行機も減便されており、それほど選択肢も残されていませんでした。

3月14日「ウイルス持ち込みの恐怖と、郡内での初感染者」

帰りゆく生徒

授業キャンセルの発表後、初めての週末。多くの生徒がこの二日間で家に帰って行きます。

そこで怖いのが、ウイルスの外部からの持ち込み。寮からの引っ越しがあるため、多くの生徒の保護者が車で迎えに来ていました。迎えに来た保護者は当然、寮内・キャンパス内を歩き回ります。

この時点でアメリカは大都市を中心に、感染者が増えていました。そういった場所から来た保護者が、実は無症状でもウイルスを持っていて、拡散するのではないか、と恐れていました。

迎えに来た保護者は車で待機するように、と連絡されていたのに誰も守らないじゃん、と怒りも感じました。ですが、大学も突然の判断だったためか、この連絡も十分に広報されておらず、保護者に待機を呼びかけるスタッフもいませんでした。

「今もウイルスを持った誰かがキャンパスを歩いているかも、と思うと怖くてたまらない…」

と思いつつも、私はかたっぱしから不動産屋に電話し、アパート探しをしていました。寮にある荷物のストレージサービスは、大学が手配してくれることになったため、私は安心して荷造りを始めました。

四年生の悲しみ

帰る前に、大学の日本人の先輩とごはんを食べに行きました。その先輩は4年生で、今年の5月に卒業を控えていました。

「アメリカの大学の卒業式にずっと憧れていた、両親も式を楽しみにしていて、すでにホテルもレストランも予約してあるんだ、だから卒業式が中止になったら本当に悲しい」

と話す姿を見て、私も悔しくなりました。

また、私はいま研究室で研究見習いをしているのですが、そこで面倒をみてくれた先輩も4年生でした。その先輩は卒論に取り掛かっており、

「一年生でこの研究室に入って、卒論で集大成することを楽しみにしていた。
家に帰ったら、研究が続けられない」

と途方に暮れていました。

コロナ流行を抑えるためとはいえ、四年生にとって大学生活がこんな形で終わるのは、本当に悔しいだろうなと思いました。

そう思うと、日本にいる人たちがインスタで「旅行なう」とかあげているのに対し、怒りを覚えるときもありました。

初感染者

そんな折、14日に大学のある郡内で初めて感染者が確認されました。とっても田舎にある大学なので、とうとうここまでウイルスが…と衝撃でした。

このときから、人混みを避けるべきだという風潮が広がりました。結果、週末にパーティーに行った人がSNSコミュニティで非難され始めました。後日、大学からもこの時期にパーティーはもってのほか、というメールを受け取りました。

3月16日「閉まりゆく施設」

この日、14日に発表された郡内の感染者とは、近くの大学の生徒だったことが知らされました。私たちの大学からその大学まで、車で30分ほど。決して遠くではありません。

それを受けてか、大学のある市では以下の処置が取られ始めました。

・レストラン、バーはテイクアウト以外禁止
・ジム、映画館などは閉鎖
・50人以上の集まりは禁止

大学においては、

・普段バイキング形式の食堂だったが、手袋・マスクをしたスタッフが給仕する形式に。テイクアウトのみ
・図書館、ジムなどは閉鎖

生徒がいなくなったのもあり、いつになくがらんとしたダウンタウンに恐怖心をかきたてられました。

3月17日「噂に怯える」

この日、ルームメイトからある噂を聞きました。アメリカ国内便の飛行機が、近々禁止されるかもしれないというのです。どうやらトランプ大統領が、流行を抑えるために国内便の禁止も考慮している、と発言していたらしいのです。

私の帰国時には、アメリカ国内便も使う予定でした。

国内便が禁止されれば、日本に帰れなくなってしまう!

とはいえ、より早い便はすでに減便されなくなっていました。ただただ、状況が悪化しないことを祈るしかありません。

この日唯一のよかったことは、次の年度用のアパートを契約できたことです。友だちひとりとシェアすることにし、新しめのアパートを探せました。少し心が軽くなりました。

3月18日「飛行機こわい」

この日、ルームメイトのひとりの中国人留学生が、寮から出てアメリカにいる家族の友だちの家に向かいました。

出発前、飛行機に乗るからと彼女がした準備は…

・マスクをする
・化学実験に使う安全メガネを買う
・レインコート、ゴム手袋をもらう
・フード付きの服に着替える

コロナウイルスから身を守るために、飛行機では肌の露出をなるべく抑えると言うのです。

そのうえ、

・飛行機ではトイレに行かない、飲食しない
・友だちの家についたら、いちばん外に着ていた服は捨てる
とまで言い出しました。

私はそれは大袈裟すぎると言ったものの、実際に上記の行動をとった人もいるようなのです。その子が見せてくれた中国人留学生のSNSグループでは、機内でゴーグルとマスクとレインコートをつけた生徒の写真があがっていました。

「特にあなたのフライトは国際便で長いんだから、しっかり対策すべきだ」
と空港や飛行機での感染リスクを語られると、だんだん怖くなってきました。

マスクと手洗いで十分じゃないかなと思いながらも、一応、化学実験でつかった安全メガネを荷造りの段ボールから取り出しました。

ルームメイトが旅立った後は、とうとうひとり部屋になりました。まだアメリカ国内便は禁止されていなかったので、あと1日耐えてくれと祈りながら眠りました。

3月19日「間一髪で帰国」

祈りが通じたのか、大きなトラブルもなく無事に帰国できました。

今まででにないほど機内が空いていて、米国から日本への機内では4列シートを独り占めできました。これだけ空いているなら大丈夫だろうと思い、機内食も食べてきました。

帰国できたのも本当に間一髪で、

・出国した後19日中に、アメリカ市民は海外に行かないようにという勧告が出る
・翌日20日に、キャンパス内で感染者が発表される
・23日に日本政府が米国からの入国者に14日間の待機要請

ということがあり、1日でも遅かったら帰ってこられなかったかもしれません。

帰国してから今日まで「自主隔離」

私が帰国したタイミングでは必須でなかったものの、自主的に14日間は外を出歩かないようにしています。

最近は、たまっている宿題をこなしたり、ブログ記事を書いたり、本を読んだり、ゲームをしたりと、おうち時間をエンジョイしています。

最後に

人ごとだったコロナが学校やレストランの閉鎖を受けて身近になり、生活を脅かすものになっていく様子が伝わりましたか?

ひとたび感染リスクが高まったら、本当に怖い思いをします。

感染しても大丈夫、自分には無関係と思い込まず、不必要な外出を避けて流行を抑えましょう!